オーレ・エクセルは1918年にスウェーデンのダーラナ地方で生まれました。子供のころから広告の仕事に憧れていたオーレは、1939年に開校したばかりの広告スクールに直接押しかけて入学を頼みこみました。まだ20歳そこそこのオーレはお金を稼ぐために、ストックホルムの有名な場所をモチーフにしたポストカードを描きました。商品化されることのなかったそのカードは、60年後の1999年にストックホルムとマルメで大きな個展が開催されたのをきっかけに、やっとポストカードとして世に出ることとなりました。60年前と現代のストックホルムがほとんど変わっていないという証明にもなる貴重なイラストです。第二次世界大戦直後の1946年にはルーセル夫人とともにロサンジェルスに渡り、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインで1年間学びました。戦後に大西洋を渡ることは大きなチャレンジで、スウェーデンよりも近代化の進ん でいたアメリカで学んだことは、後の彼のデザインや考え方にも多くの影響を与えました。
オーレ・エクセルの名を世に広めるきっかけになったのは、チョコレート企業マゼッティ(現ファッツェル)の「ココアアイズ」です。マゼッティは、良い品質を意味する目のロゴを、当時の具象的なデザインから一新するために1956年にコンペを行いました。このコンペに優勝して、新しいマゼッティのロゴを世の中に印象づけたのがオーレのピクトグラム化されたココアアイズです。その後オーレはマゼッティのデザインプログラムを全て任されることとなり、40以上のパッケージデザイン、名刺、社内用紙や便箋を手がけました。オーレの仕事はスウェーデンで初めての近代的なCI(コーポレートアイデンティティ)となり、 マゼッティの知名度を高めることに一役買いました。オーレがアメリカで学んだ「優れたデザインは企業イメージを高め経済効果を生む」という考え方は、マゼッティの知名度を上げたことで証明されたのです。
オーレはジャーナリストとしての才能も発揮しています。デザインという仕事が経済効果をもたらす質の高いアートであることを唱えたかったオーレは、自身の経験を結集して1964年に「Design=Ekonomi」という書籍を出版しました。「Corporate Design Programs」として英訳も出版され、国際的にもデザインの教材としての名を馳せました。1999年には自伝的内容の「Mina Ogonblick」、グラフィックデザイン解説書「Formulerat」、作品集「Typiska arbeten」、「Design=Ekonomi」の再版が同時発売されました。1999年にはスウェーデンのマルメとストックホルムで個展が開催されました。
その後、目を悪くされたオーレは、自宅で夫人と過ごすことが多くなりました。病院への入退院を繰り返していたオーレは、ストックホルムの病院で2007年4月11日に89歳で永眠されました。