日本から帰ってきてあっという間に1週間が過ぎました。たいてい1ヶ月くらい日本に滞在して、その間は1日1日をていねいに過ごしています。ところがこちらに帰国したとたん、1週間があっという間に過ぎていきます。やはり日常生活に戻るからでしょうか。そう考えると、1ヶ月ってなんて短いんだろうと思います。
さて、日本から帰ってくると、いつも何かしらの違和感を感じます。その違和感は日を重ねるうちになくなってしまうので、いつも忘れてしまうのですが、今回はそれが残っているうちに分析してみたいと思います。その違和感が「視点」の違いであることに最近気づいてきました。今日ストックホルムでバスに乗ったら、混み合ったバスにイヌ連れの人が乗ってきました。スウェーデンでは至って日常茶飯事ですが、日本から帰ったばかりだと、妙に新鮮に映りました。日本ではこうは行かないという点も、違和感を覚えることのひとつです。混み合ったバスの中で、イヌはおとなしくしています。スウェーデンではイヌやネコといったペットは、人とほぼ同等に扱われていて、室内で飼うのが一般的ですし、バスや地下鉄といった公共交通にも乗れます。レストランや食料品店は入れませんが、デパートや衣料品店など、食べ物を扱わない施設には連れて入ることができます。薬局には、普通にペット用の薬も並んでいて、人と同様に、処方箋を持って薬局でペットの薬を買います。
ここで、日本とスウェーデンでは「視点」が違う、という点に戻ってみましょう。日本ではいろいろなことがお上からの視点だと感じます。使う人の視点というより、それを提供する人の視点になっている気がするのです。例えば子ども関連にしても、保育園や遊具のある広場など、提供する側がよかれと思って作られていることが多く、そこを使う主役である子どもの視点が欠けているように思うのです。
スウェーデンの暮らしが居心地よく感じるのは、まさしくこの「視点」なのではないかと思うのです。バスにしても、乗車しやすい、座りやすい、分かりやすいという、乗客視点になっています。保育園や子どもの広場は、例えば遊具広場は地面が柔らかい素材になっていて、転んでも怪我をしづらく、子どもたちが遊びやすい作りになっています。
階段には必ず傾斜があって、ベビーカーや荷物を持った人も通れる作りになっています。いろいろな場面がグッドデザイン、つまり使う人視点になっていて、使いやすい作りになっています。
もう何年も前から不満に思っている日本での事柄は、地元発の空港バスの乗降場所にタクシーが停められないことです。空港まで行く人はたいてい大きなスーツケースを持っているので、タクシーで空港バス停まで乗り付ける人が多いのですが、そこにタクシーが停められないのです。タクシーを停められるところからバス停まで距離があるので(しかもエレベーターでの移動含む)、大きな荷物を押してウンショウンショ言いながら移動しなければなりません。その移動時間を10分は余計に計算しなければならないのです。なんて使う人を無視した設計なのでしょう。そういう不満を抱えながら、今回もスウェーデンに帰ってきたわけですが、こちらではスーツケースを持っていても、実にスムーズに移動ができるのはいうまでもありません。