「【デザイナー完全敗北】セブンカフェのコーヒーメーカーが残念と話題」という記事を、非常に興味深く読みました。日本を代表するデザイナーである佐藤可士和氏を起用し、セブンイレブンのコーヒーメーカーをオシャレなデザインにしたのに、分かりにくいからとラベルを貼られまくる、という件です。
下記は関連記事のリンクです。
佐藤可士和がすべてをデザインした「セブンカフェ」
かっこいいデザイン→利用者には不便→結局デザイン崩壊
ここに、日本のデザインのあり方が凝縮されている気がしてなりません。まず、著名デザイナーに頼めばいいものができるだろうと、たぶんメーカーはデザイナーにデザインを丸投げしたのでしょう。デザイナーも誇りがありますから、いいものを作れる自信はあったでしょう。しかしながら、ここまで使いづらいと、作り手の目線がどうだったのかが気になります。
「デザインは経済効果を高める」という思想を1950年代から打ち出していたスウェーデンの巨匠デザイナー、オーレ・エクセル氏の思いは、今ではスウェーデンデザインの思想の基本となり、スウェーデンデザインが世界のリーダー的存在となっているコアの部分です。北欧デザインと一緒くたにされますが、実はデンマークやフィンランドデザインとスウェーデンデザインとは、この部分に少し違いがあるように思っています。
ミッドセンチュリーにはヤコブセン、アアルト、ウェグナーなど、著名な北欧デザイナーが次々と誕生しています。その時代のスウェーデンは、カール・マルムステンとブルーノ・マットソンがいますが、ヤコブセンらほどの知名度がありません。なぜかというと、マルムステンやマットソンは、見た目のデザインにヤコブセンらほどの強烈な印象がないからでしょう。しかし、実際にすわったり、使ったりしてみることで、マルムステンやマットソンのデザインの実力がわかります。彼らの家具は見た目に強烈な個性はないのですが、使う人の立場に立って考えられたデザインであるため、身体がすっぽりと包まれて、まるでそこに溶け込んでしまうような使い心地よさなのです。ここにスウェーデンデザインの真髄があります。
今までにも、何人ものスウェーデンデザイナーを取材してきましたが、その多くが、使う人の立場に立ってデザインしています。デザイナーらは、仕事が入ると、まずユーザー目線に立ったリサーチを徹底的に行います。ある設計事務所で保育施設のインテリアを手がけたデザイナーは、使う人、つまり園児たちの行動や意見を徹底的にリサーチしていました。4、5歳の話せる園児たちからは直接に意見を聞き、まだ話せない幼児たちからは、その動きを見て徹底的にリサーチをします。そして使う人たちにとって最もよいデザインで、仕事を考えていきます。クライアントからの率直な意見も聞き入れて、デザインを仕上げていきます。
ここにはデザイナーのひとりよがりなデザインはひとつもありません。ただし、徹底的にユーザーとクライアントの意見を聞き入れたところに、デザイナーとしてのエッセンスを加えて最後の仕上げをします。
スウェーデンのデザインは「誰にでも使いやすいデザイン」を目指しています。デザインは特別なものではなく、人々の暮らしをよくするために存在しています。よく使われるのが、言葉よりも、ビジュアルにわかりやすいデザインです。例えば色や、ピクトグラムという絵文字を使い、字が読めない人でもわかりやすいデザインをよく見かけます。ストックホルム地下鉄のアートが有名ですが、これは駅ごとに異なる色が乗客に強烈な印象を残し、駅名を忘れても、色で覚えることができます。公共施設の標識にしても、文字よりもピクトグラムという絵文字がよく使われます。例えば下記の画像は地下鉄の改札で、大きめな改札は幼児連れ、ベビーカー、車椅子、ペットが通れます、という情報を、ピクトグラムで表示しています。
セブンイレブンのコーヒーメーカーに話を戻しましょう。ここでデザイナーは、どのような目線でデザインを作ったのでしょうか。「Regular」と「Large」は、どう見ても日本人にはわかりづらい表現で、しかもRとLとなっては、何を意味しているのかさっぱりわかりません。また、「日本語」という特殊な言葉は、日本人以外にはほとんど理解されません。2020年にオリンピックを控えている日本としては、そろそろグローバル仕様を目指した方がいいのではないかと思います。セブンイレブンを利用するのは日本人だけではありませんので、どうか日本語のわからない人にもわかりやすいデザインを作ってほしいものです。